グラハム・ベル(アメリカ 技術者 発明家)
この方は難聴ではありませんが奥様は難聴でした。
イギリスのエジンバラ市で、視話法を研究していた父の元に誕生。少年時代から発明工夫の才能があり、よく玩具などを作っていました。
又、母の影響で音楽にも秀でていました。グラハム・ベルはエジンバラ大学とロンドン大学に学び、発音に関する勉強をし、ボストン大学の発音生理学の教授となります。
元来、ベル家は祖父以来発声の事を研究しており、父であるメル・ベルは、発声器官の運動を符号に表す“視話法”という一種の文字を発明しています。
グラハムは父の研究を耳の不自由な児童に応用し、ボストン市にろうあ学校を開きました。
彼が、発明の最初のヒントを得たのは、口と耳の不自由な人のために、音響の波動を目の前に見せようとする器具を作った時のことです。
1872年
助手のトーマス・オーガスタス・ワトソン(モールス電信の技師であった)の協力を得て、電話の発明に専念し、2年後理論上成功します。
翌年、初めての微弱な音の伝達に成功し、磁石式電話機を発明。
1876年3月16日
ワトソンとベルとで、「Mr. Watson, come here, I want you.」という言葉を、隣の部屋で明らかに聞くことができ、アメリカでは、この日を電話記念日とし、記念の言葉としています。
彼の発明した原理が現在の電話機の基本になっていますが、後にエジソンが取り組んでいます。エジソンは送話器を改良したことで性能が向上し、電話は急速に普及することになります。更に真空管を利用した増幅器の登場により、遠距離通信が可能になりました。
グラハム・ベルは、フランスよりボルタ賞を送られています。その賞金でボルタ研究所を作り、蓄音機、光線電話、航空機の研究を行い、特に水上機の発達につくしました。また、発明と共に耳の不自由な人達への教育にも熱心でヘレン・ケラーとサリバン先生を引き合わせたのも彼です。
どの本の中でも、missサリバンがベルの要請でヘレンの家庭に派遣された事が出てきます。そして、この3人は、長い間親しく付き合っていたと言われています。グラハム・ベルの奥様も耳が聞こえませんでしたので、その点も彼が「聞こえ」についての研究の成果はあるのかもしれません。
まさに彼は「音」=「聞こえ」の世界に生きた人ですね。