ヘレン・ケラー


ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller)

いわずと知れた「奇跡の人」へレンケラーは多くの著書に描かれ、彼女のたくましい生き様が描かれているのは周知の事でしょう...

三重苦と言われる「盲聾唖」である彼女はアン・サリバンとの出会いでその力を発揮していきます。そして、様々な社会貢献にも力を入れた人です。

ヘレンを描くものに必ず描かれている有名な「water」のシーンです。

    ある日、ヘレンがコップとその中に入っている水を同じものだと主張してゆずらず、遂にサリヴァンとけんかになってしまった。
    サリヴァンはヘレンの気分を転換させるため、しばらく他のことに興味を移した。その上で初めて戸外に誘い出し、ポンプ小屋に連れて行って、持っているコップに冷たい水を注ぎこんでやった。

    と同時に「水」と指文字で書くと、瞬間ヘレンの顔色がさっと変り、コップを落して打たれたようにじっと考えこんでしまった。
    彼女の面にいつもと違う輝きが現れはじめた。自分の誤りが分ったのである。

その後、発語も出来ないヘレンケラーは、その唇の運動や舌の位置を探って、その真似をして、一心に学び、六つの音の要素(M.P.A.S.T.I)を覚えました。ニューヨークのライトヒューメーソン聾唖学校で発声法の研究も積んでいます。わずか数ヵ月でドイツ語なら何でも判るようになったという記録もあります。

ヘレンの頭脳が凡ようでなかったことはもちろんなのですが、常に、側をはなれずその手助けをしたサリヴァンの献身的努力は言葉ではとうてい語りつくせないものです。

学生時代は、ヘレンの学問はラテン語、歴史文学、地理などには特に興味を持ち、同じ年ごろの男女生徒の優秀なものと同等の成績を得たと、伝えられています。

1880年6月27日
アメリカ合衆国のアラバマ州、タスカンビアで誕生。地主の娘として裕福な家庭に生まれる

1882年
2歳(生後19か月)のときに熱病にかかり、一命はとりとめたが、聴力と視力を失い、話すことさえできなくなりました。
この事から、両親からしつけを受ける事の出来ない状態となり、非常にわがままに育つ事となってしまいました。

1887年
困った彼女の両親は聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベルを訪れました。
彼の紹介で、マサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長アナグノスに、ヘレンの家庭教師の派遣を要請したということです。

1968年6月1日
死去。87歳没。

アン・サリバン(弱視)
ヘレンの元に3月3日に派遣されてきたのが、パーキンス盲学校を優秀な成績で卒業した当時20歳のアン・サリヴァン(通称アニー)です。
アン自身も弱視であったため、黒っぽいサングラス姿が皆さんの印象にも残っていることでしょう。彼女はその後、約50年にもわたってよき教師として、公私共に、ヘレンを支えていくことになるのです。

この3月3日は「耳の日」としても設定されています


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