難聴・・・そのコミュニケーションは難しい


難聴・・・そのコミュニケーションは難しい

そんなの知ってるよ!という声が聞こえそうです

先生に言われましたね。
「難聴児には、大きく口をあけて前から話して」
「難聴児には伝えるときはその場でその時に伝えてあげて、記憶が残りにくいから・・・」

いやになるほど、言われてきました。
しつこい位、やってきました。

・・・つもりでいました。

ゆっくり話す、わかりやすく伝える。
私は、難聴=聞こえにくい=言葉を伝える
そんなことをしてきたように思います。


難聴キッズと話すとき、叱るとき、教えるとき、何を基準に考えるか?

   「概念」の重要性

私たちは日々の生活の中で幼い時から
知らずして、生活の「概念」を自然に身に着けていると思うのです。

見るもの、聞くもの、かんじるものすべてで。

しかし、難聴キッズは違います。
目線も違うし、聞こえない世界で「自分なりの概念のみ」で成長しているのですね。

間違いではないです、多少仕方のないことです。
でも、社会に出ればそれが弊害となって
理解できない、理解しあえない、そんなコミュニケーションの不都合に見舞われるのでしょうね。

例えば、

「写真は切ったり、破いたりするものではなく、見て楽しむものだ」
こんな普通の概念。

別にそれは教えられたわけでもなく、
私たちは日常の中で「何となく覚えた、知ってること」です。

で、何となくそれを私たちが
「詳しくは教えずに」写真=当然見るもの、として処理(教えてる可能性)があります。

話を戻します。
写真です(笑)

ところが、難聴キッズ(うちは発達障害との重複もあるのでその関係もありますが)
写真にらくがきしたり、切ったり、捨てたりするわけです

むろん、その場で叱ります。
「写真をどうして破るの!そんなことをやってはいけません!」
・・・「ごめんなさい」・・・
で、またそのうちやる。

この時考えたのは、
言ってもなかなか理解できない子
何度もしつこく、入るまで言う
覚えられないのかな・・・

そんな感じで伝えていました。

・・・
思ってもみなかったんです!
深く考えてもいなかった!

当然あると思っていた「概念」。そこ自体の問題か?!


私たちの当たり前の
「写真は見るもの!記録するもの!という概念自体が育っていないのでは!?」
・・・

そう思うと、私の目に写る子供、子供から聞こえてくる言葉の意味が違ってきたのです。


すべてに概念の不成熟がみられます。

そんな目で見るからかも、知れませんが
「この概念はこの子にはない!のでは?」

そう思って接すると、言葉も、伝え方も変わるんですね。

自分でも、びっくりしました。

「なんでわからないの?」
「どうやって伝えるの?」
ここにばかりに目が行って、
概念をりかいしているのか?伝えていたのだろうか?


最近、難聴のお母さんたちとお話しする機会があり、
本気で聞こえない人と向き合うことはどういうことか?を
初めて理解した、本気で気が付いた気持ちです。

伝えることのむずかしさは、ただ聞こえないことではなく
言葉とは、
「物事の概念を共有していてこそ、成り立つ」のだと
実感しました。

そして、
大人の難聴の方と話すことは、

難聴キッズへの
「何かわからないモヤモヤしたおやの気持ちの突破口になるのでは!?」

・・・そんな、新しい気持ちを手に入れた感触です。

大人の難聴の方と話しましょう。
伝えましょう。聞きましょう。
そして、お互いに理解できるまで、話してみよう。

そこから「本当の言葉の意味」を共有しよう。

いま、ほんきで「言葉のむずかしさと、楽しさ」に向き合って
もう一度日本語のすごさを体験しています(笑)

勉強になっていますm(_ _)m



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