我が家の難聴キッズは
発達障害が強く出てきてここ数年
嵐のような日々でした
今日を振り返ることもできない
寝て起きたら明日がやってくる
・・・子育てってこんなものかもしれませんが
健常の子供(長女)を育てると同じようにはいきません
なぜ、こんなことをするのか
どういう思考で暴れるに至るのか
買ったばかりのシャンプーは毎度捨てられ
トイレットペーパーはつねに水の中(笑)
「平常心で!」を自分の合言葉に日々を過ごしていました
当然、祖父母もくたくた・・・
家族はぎくしゃく
毎日言いたくもない愚痴がでてきてはみんな自己嫌悪。
きっと介護をしている家族って、
全部かぞくでやるとこんな風になるんだろうな、と
共感?してしまったり・・。
それが、この春から「寄宿舎」へ生活指導も兼ねて週に2日留守となりました。
難聴キッズはとても楽しいらしく
ご機嫌で行き帰ってきます。
月曜日の朝もはやおきして
「今日から寄宿舎です!水曜日に帰ります!行ってきます!ママ!」と
元気に出かけます。
水曜日は「今日は帰ってきましたよ!寝むたいです!」
そういって機嫌よく自分のことだけを済ませ
明日の学校に備えています
単純に「うれしい」です
我が家では
難聴キッズはいろんなことが将来にわたりできないことが多々あるであろうが
この子に与えられた命をこの子なりに大切に精いっぱい生きるだけでいい。
それでもそこには「意味がある」と胸を張れる大人になれたらいいね。
震災の時にも思ったけど
平凡な毎日は、家族で笑えることが
いかに幸せなのかということを。
毎朝「おはよう」「いただきます」
夕方は「ただいま」「ごちそうさま」「おやすみなさい」
その日食べるものがあること
その日寝る場所があること
何お仕事でもいい、生きる糧があること
当たり前のものは実はとてもハッピーであることをいつも胸に止めておきたいです。
そして、毎日を満足として感じられるように
毎日を笑顔で送れる人間にしてあげたいです。
お世話になる方々になにも返せないかもしれないけど
いつも元気だね!といわれる人生を与えてあげたいです。
理想がないとか低いといわれることもあるけれど
人間が与えられた命をその子なりの充実した人生を送れますように、
そう願うばかりです
今は本当に家族みんなが笑顔になる余裕もできました
大人にだって親だって家族だってやっぱり疲れます
(それはたるんでる!といわれることもあります)
また次の格闘に立ち向かえられるのは
こうしたわずかな「幸せの積み重ね」があってこそではないかなと
最近思います。
pao・・生まれてくれてありがとう
足りないことばかりのママですが一緒に最後の日まで
一生懸命与えられた人生をたのしみましょうね
そして、支えてくれる家族へ
いつも本当にありがとう!おかげで今日も笑顔で生きられました!